シンママであろうとも、してあげれること沢山あります😊
子供の成長は本人達の時間感覚とは真反対に、親からすると本当に早いです。何も考えずに3年間過ごすのか、その先を見据えて過ごすのかで子供の将来像が違ってきます。
こんにちは!のりりんこでございます。
2000年、26歳の時に3歳の娘を連れてアメリカに留学をしたシングルマザーです。
この記事を書いた私: 22歳ー24歳の間に結婚出産離婚。シングルママで26歳子連れ留学。娘への教育には半分放任半分熱心に関わりながら、お金がなくても新卒で優良企業に就職できる事を証明したシングルマザーです🤗
お子さんがもう中学生、、、成長はほんとうに早いものですね。自分のことでも色々大変なのに、すでに高校やその先を考えてあげているシンママの皆さんは素敵です!
私も当時少しずつですが、娘が将来お金に困らないように具体的にビジョンを立て始めたのが中学生に入った時からでした。
小学校編はこちら
今回は、我が家が中学生時代に何をしたかを振り返ってみようと思います。
志望校に入るまでにした事
まず、私(親)と娘の中学時代を比較してみます。
私
志望高校:看護科 偏差値48
理由: 当時流行ったドラマの影響(超安易な動機)
※アナザーストーリー: その後やはり1年も続かず、翌年普通科に受験。中学の先生には「君が行けるのはここくらい」と偏差値36(県内400校中366位)の高校へですら猛勉強してやっとこさ入学。
娘
志望高校: 国際教養科 偏差値64(県内400校中12位)※同じ学校の普通科は68
理由:英語力のキープ。校風がアメリカのように自主自立で有名。大学入学への有利性かんがみ。
生き様の差が凄いです、、、。
さて、志望校に入るためにした事は、、、
・推薦をもらうための3年間全うした
・ひたすら校則を守った
・ひたすら勉強した(受験時期)
・心地よい環境、良い食事、応援!
着実に地道にこなしていたら、無事に推薦入試で志望校に入れました👏
それでは振り返ってみます。
推薦をもらうための3年間を全うした
通った中学校
・帰国後通った小学校が新しく小中一貫校になった中学校
・引き続きひと学年ひとクラスの少人数
・小学時代の帰国子女同級生達は私立の国際中学に入学。
・都心ど真ん中のピッカピカの真新しい校舎
「短期戦か長期戦か」
おバカな私は複雑に考えるのが苦手なので、こんな感覚で娘と決めました。
偏差値高めの高校を目指そうと思ったら、やはり一発勝負の入試にかけるより、安全バイの推薦をもらって挑もう!となりました。
校則や勉強が大事になってきますが、我が家では中学3年間一貫して念頭には「長期戦で推薦を勝ち取る」をビジョンを掲げていたのが良かったです。
因みに、小学校時代の帰国子女の同級生達は皆私立の国際中高一貫校に行きました。お金のあるなしの差をまじまじと感じましたが、人は人。我が家は最後に笑うのです。と変な確信がありました。根拠がなくても思い込みって大事です。
※アナザーストーリー:私の中学時代はとにかく勉強が嫌いで、「先生や大人はこどもの気持ちをわからない生き物」と、とにかく反発しまくっておりました。
ひたすら校則を守った
ヘンテコな校則
・髪型: 肩までより長ければ結ぶ
・スカート丈: ひざ下〇㎝
・登下校ルートの道: 1本たりとも道を外れずに登下校すること
典型的な校則から、変わったものまで色々ありました。自由だった小学校時代や、アメリカマインドの娘には中学の校則が謎すぎてましたが、とにかく守り抜きました。
※アナザーストーリー:大人は敵マインドだったヤンチャな母の中学時代は、校則は破るものさっ。と、せっせと破っては怒られていた楽しい中学時代を呑気に過ごしていました。
ひたすら勉強した(受験時期)
私に似なく、中学の勉強にはちゃんとついていけた娘でしてたが、万が一推薦がもらえなかった場合の受験に備え、中学生3年の1年間だけ塾に通いました。
塾代、高かったです😣私には勉強を教えてあげる能力は持ち合わせておらず、全ては塾の先生に託しました。
月に4万ほどの母子手当を全て塾代に充てました。(なんとかなるものですね)
そういう時はケチらず、1年間で夏期、冬季講習、年末年始試験対策コースも受講しました。各コース5万円ほどだったと思います。
お国のお金でほぼ賄えたことに感謝です😌
※アナザーストーリー:勉強嫌いのヤンチャ時代の母はテスト勉強もほぼせず、あまりのやる気のなさに、あえて答案用紙を白紙で出して綺麗に赤で書かれた0点を頂いた経験あり。父がもはや、あっぱれと言わんばかりに親戚に言いふらしていました。
受験生には心地よい環境、良い食事、応援!
環境
受験生時代の3年生は家でも心地よく過ごしてもらうために、塾に行く時は気持ちよく送り出し、帰る頃にはご飯をすぐ食べれるようにしていました。
食事
私はフルで働いていたので、もっぱら炊事は私の母の役目でした。母が作る料理は和食中心でしたので、私が作る時はコテコテのアメリカンチックなものや、大好きなタコス🌮などを作ってたくさん食べてもらいました。食事って大事です。食べるものから人間は作られてますからね👍
応援
応援と言っても「頑張れー!頑張れー!」というのではなく、ただ「よく頑張ってるね」と認めてあげることが大事だと思います。
そりゃ勉強をしたくない時もあります。そんな時はあえて何も言わず、見守り隊になります。時に一緒にゲーム🎮をしたりYouTube📺を見たり気分転換も大事でよね。
まとめ
私は決して「良い高校、良い大学が全て」と言っているわけではないです。
私が卒後した高校は県内ドベから4番目でしたが、同級生には、ニューヨークでバリバリ働いてた子、陶芸家になった子、おうちの居酒屋を継いで繁盛させている子など、それぞれの道を切り開いています。
好き勝手やってきた何も取り柄がない親(私)だけに、せめてもの準備をしてあげたかったのです。ただただ、将来娘が自立した時にお金に困らなくて、何かに挑戦したい時にお金が足りないから諦めるとか、サービス残業がまかり通るような環境の会社に行って欲しくなかったから。
そんな思いだけでした😌
では!