シングルマザーではなくても、親心として子どもを大学まで行かせてあげたいという気持ちは少なからずあると思います。
こんにちは!のりりんこでございます。
2006年、26歳の時に3歳の娘を連れてアメリカに留学をしたシングルマザーです。
子どもも高校になると、しっかりとした自分の意思や考えを持っています。しかし、まだこの世に生を受けて10数年。人生の先輩の家族や、信頼する人からのアドバイスはまだまだ必要な歳だと思っています。
この記事を書いた私: 22歳ー24歳の間に結婚出産離婚。シングルママで26歳子連れ留学。娘への教育には半分放任半分熱心に関わりながら、お金がなくても新卒で優良企業に就職できる事を証明したシングルマザーです🤗
今回は我が家が志望大学にどうやって入学できたかを振り返ってみたいと思います。全てはその先のお金がなくて好きなことを諦めないといけない人生を送らない為に😌
中学生編はこちら
希望する大学に入る為にした事
まず、私(親)と娘の高校時代を比較してみます。
私
志望大学:大学ではなく、専門学校(音響科)
理由:受験がやだった為、試験のない専門学校を選択。(超安易な発想)
※アナザーストーリー:中学時代みたくもうヤンチャではないにしても、引き続き勉強は嫌いだったので、親の反対を押し切って受験のない専門学校へ。音響科を卒業後もその後に何も活かす事なく母からは今になっても「何しに行ったのやら、お金がもったいなかった。。」ため息つかるる始末。
娘
志望大学: 私立国際英米科 偏差値59(くらい?)
理由: 県内の私立では2番目に偏差値が良い大学 家から近い。就職に有利。
ここでも母と娘の生き様の差が、、、。
さて、志望校に入るためにした事は、、、
・編入大作戦
・お金の工面
・勉強 個別塾
・家族のサポート
よくある、「こうやって我が家は子どもを東大に行かせました!」みたいな大されたことはしていないのでお受験バイブルにはなりません。悪しからず、、、。
編入大作戦
何事も「ダメなら他の方法を模索して実行する我が家のモットー。」それでもダメらなやめればいいと諦めもつきます。
当時現状:志望校合格困難 偏差値58(くらい?)
残念ながら、目指した時は志望校に入る確率が低いという事が判明。
何を考えたか:同じ学校の短期学部からの編入 偏差値49(くらい?)
第一志望の大学に短期学部というのがあり、私の姉の勧めでそこに入って3年生から編入すればいいということに落ち着きました。
何をしたか:すべり止めの第二候補決の決定 国際学科 偏差値58(くらい?)
一応第二候補もすべり止めとして受験して、本命も受験する準備もしました。第二候補の大学も、地元では国際関係に興味がある学生さん達にとても人気があります。
結果: 本命はやはり不合格。すべり止めと本命の短期学部は合格
案の定やはり彼女にとっては難関大学でした😢そして、”第二候補の四大”か、”短大からの編入”かの選択へ。やはり知名度や通学の便の良い”短期学部からの編入”を選びました。
短期学部は四大学部よりレベルを落とすので、特待生になれると確信してたので2年後の編入は自信がありした。
編入時: 論文と面接(日本語と英語)でありがたく合格
ほっとしました☺️娘と数人が四大に編入できたそうです。
ギュギュっとまとめましたが、実際は本当に色々紆余曲折あったような記憶があります。でももう終わったことなので、終わりよければすべて良し。私の姉の提案から実現できた志望校への編入でございました。
お金の工面
養育費というのは、子供が大きくなるにつれ単価も上がっていくことを、赤ちゃんを抱っこしていた若々しい自分に伝えてあげたいと思った時期でした。
・塾代→母子手当
・受験代&手付金→ 母から借りる
・入学金→学資保険
塾代: 中学時代同様、高校3年生のときのみ通いました。母子手当(月4万円ほど)で賄えたと思います。
受験代&手付金: 2万円ほどの受験費用を5回ほど受験と、合格した時の手付金(?)で15万(?)(アバウトです、、、)出どこががなく、母から借りました。私は正社員で働いていましたが、当時手取り20万ほどでしたので、余裕はなかったです😢
入学金:20万円。その他にこまごま費用があったと記憶してますが、借入だらけで満額に到底及ばなかった少ない学資保険から賄いました。
※入学後の授業料は私のくんだ教育ローンと利子がない奨学金を借りてやり抜きました。編入時にお金の工面で色々ありましたがなんとか、今は私のローンは全て返済済みです。お金に関しても色々ありましたが、終わりよければすべて良しです。
勉強も頑張った!
高校生となるとバイトも頑張り始めましたが、高3でバイトを辞め塾に専念しました。かと言って毎日がむしゃらに勉強してたわけでありません。娘は楽しい高校生活をエンジョイしていました。
塾は近所に住む幼馴染の子が通っていた個別指導(大手スクール)に行きました。そこの塾は先生達は現役大学生だから旬の受験状況に詳しいがウリだそうです。
家族のサポート
大学受験となると、勉強内容はもう私のわかる範囲ではこれっぽちもありませんでした。
そんな中、自然に担当が振り分けられ。。。
👵おばあちゃん(私の母):炊事全般担当
👩母(私):応援担当、お休みの日の好物料理担当
🧑おば(私の姉):受験アドバイザー担当
👯♀️従弟たち(私の姪っ子達):先輩アドバイザー担当(姉:法政&妹:一ツ橋)
🐕犬(今は亡き次女チワワ):癒し担当
私のサポートできることは、もはや“さやかな応援”くらいで、もっぱら受験に関しては私の姉がアドバイスをしてくれていました。姉は大学へ行きたかったけれど、当時父の事業が大変だった為、商業高校卒業後すぐに働きに出た経験からか、自分の娘達への教育が熱心でした。
まとめ
今回は我が家が志望大学へ行くにした事を振り返ってみました。
・編入作戦
・お金の工面
・勉強も頑張った!
・家族のサポート
私が高3の時に「大学だけは出ておいた方がいい。どこでもいいから行っておきなさい」と若かりし日の生前の父は私に何度も言っていました。
そんな父の言葉は勉強嫌いだった当時の私には全く響かず、「大学なんて行ってなんにるのさっ。ふん。」とあしらっていた、これまた若かりし日の私。
勉強に興味がなく、大学へ行かずとも何かに挑戦したいのもがあれば大学進学たるものは時間とお金の無駄と今でもそんな思いが少なからずあります。
我が家は「大学はその先の、”新卒で優良企業に入る切符をもらう場所”だから行く」という目標があったので、なんとかしてでも良い大学を選びました。そういった理由ではありましたが、娘はそれなりに大学生活を満喫してた様に思います。でも高校生活の方が楽しかったようですね。
小学生までは私立に行かない限り、習い事くらいの養育費で済みます。子どもが歳を重ねるごとに出費も増えていくことを身をもって体感しました。お金って本当に大事ですね。
では!