いつか親子で留学してみたいママは、子供が行くであろう保育園や学校が気になるところだと思います。
こんにちは!のりりんこでございます。
2000年、26歳の時に3歳の娘を連れてアメリカに留学をしたシングルマザーです。今回はその娘が過ごしたアメリカの学校生活を振り返ってみようと思います。
いきさつ
母親(私)の「留学に行きたい!」の熱い思いで、物心ついたころにはアメリカにいた娘。1年間LA の保育園で楽しく過ごしていたら、また母親の「カレッジに行きたい!」の思いで、今度はオレンジカウンティにやってきました。
そこで過ごした4年間は彼女の価値観形成に大きく影響した期間だったと思います。
・Pre-K 4歳 幼稚園になれるためのプリスクール
・Kindergarten 5歳 日本でいう年長さんにあたる歳
・Grade1-Grade2 6歳-7歳 小学1年生~2年生
こうやってリストにするだけで、その学年ごとの娘の成長がすぐに思い出されます😌
過ごした学校 St.Midhael’s Christian Academy
・カリフォルニア州オレンジカウンティ郡サンクレメンテ市
・私立のクリスチャン学校
・デイケアから8年生(中学)まで併設
・学費:1か月250ドル(2005年当時) ※2022年時点 年間7000ドル!
LAから引っ越しの際に家から近い保育園を探していたら、ちょうどいい場所にあった所がたまたま幼稚園も小学校も併設されていたので、公立には行かずそのまま通い続けた感じです。それぞれ1クラスづつの小さな学校でした。
San Clemente(サンクレメンテ市)
とてものどかなビーチ沿の町という環境にありました。アメリカでは地域によってガラリと治安が違ったりするので、公立小学校を良い地域に行かせるために隣町へお引越しする家庭もあるくらい。
私の住んでいたオレンジカウンティは全米でとても住みやすい地域のひとつで、特にサンクレメンテは本当に治安が良かったです。なので安心して子どもを通わすことができました。
私立のクリスチャン学校
毎週木曜日に必ず教会でお祈り朝礼がありました。学校を経営しているのはもちろん神父様。娘は「朝礼では本物のワインを飲むんだよ🍷」と言っていましたが、ンなわけはなく、グレープジュースとパンひとかけらを頂いてお祈りをしてました。その日は7時半登校です。早い!
デイケアから中学まで併設
デイケアも併設されていたので、居残り保育や夏休中のサマースクールなど利用していました。中学生になると数名のお姉ちゃんお兄ちゃん達しかいなくて、小学校を終えるとほとんどの子達は地元の公立中学校へ行っていたようです。
サマースクール
Kindergarten までは夏の間デイケアでのサマースクールに参加できました。ほとんどの親御さん達が働いていたので、クラスの半分が参加してだと思います。
各曜日のよって毎日やることが異なっていて楽しそうでした。月曜日は映画の日、火曜日はプールの日などなど。ランチも水曜日はタコスの日、金曜日はピザの日など先生が近所に買いに行ってくれるシステム。
学校行事
私立だったからか、毎年大小さまざまなイベントごとがありました。思い出深いものを選んでみます。
サンクスギビング
アメリカ大イベントの内のひとつです。当然クリスチャンの学校だったので、毎年サンクスギビングの歴史から学びます。イギリスからメイフラワー号の船に乗って移住民たちがうんぬんカンヌン。
私にとってアメリカ来る前まで馴染みのなかった行事でしたが、こんにちは日本でも知れ渡るようになりましたね。(ビッグセールとしてのイメージかな?)
学校では子供たちは先住民や当時の移民の服装に扮してサンクスギビングの歌を歌ったりしてました。
ダンス発表会
本格的なダンスというより、テーマを決めてそれにちなんだ踊りを披露するという内容でした。ある年は60年代がテーマ。チーム内のお友だちのママが衣装を作ってくれ娘も大喜び。
100日記念
9月の”新学期から100日目”にちなんで、何かしら”100”にまつわる工作を作りクラス内で発表する日があります。
娘は近所のビーチで小石を100個集め、ひたすら浅い箱に貼り付けるという大傑作を披露していました。半分は私の力作でもあります。
運動会
小さな学校だったので、近所の公園で行っていました。日本みたいに親がお弁当を作って家族総出で応援するぞー!的なものではなく、“スポーツを楽しむ日”な感覚の方がが近いかもしれません。
クリスマス
サンクスギビング同様クリスチャン学校にとれば一大イベントで、劇やパーティーなどがありました。それが終わると日本同様冬休みです。
我が家はその時期に日本に一時帰国したりしていたり、せっかくのクリスマスなので旅行したりクリスマスイベントはお休みしていた方が多かったです。
学校生活
クラス
ひと学年ひとクラスのみなので、毎年ほとんど同じメンバーでした。(日本に帰っても娘は小中学校同じような環境で育ちました)
先生は担任の先生が全科目教えてくれました。日本と変わりませんね。先生達の子ども達も通っていたり(福利厚生で学費安いのかな?)、和やかな学校でした。
宿題
キンダーに入ってからは毎日何かしらの宿題を持って帰ってきました。A3サイズのオレンジ封筒に入っているプリント類の数々。キンダーの頃はスペリングなど、読み書きのようなものが数枚だけでしたが、小学校に上がると量も内容も多くなり、毎日嫌々その封筒を開けている娘の姿が思い出されます。
友だち
ひとクラスのみだったため、性格合う合わないは多少あったかもしれませんが、基本みんな友だちです。子ども達は皆オープンな子達で人種問わず毎日学校で遊んでいたように思います。
2022年、既にみんな25歳。結婚して家庭を持ってる子もいたりと、なんだか感慨深いです。
クラスの3分の1ほどが我が家同様、片親の家庭だったり、再婚してたりと、本当に色々な家庭のあり方を見ました。お友だちのある子は「今週末はダディの家行く日なんだ」とか、「ステップダディと○○行った」とかとか。
私が感じていた日本は、シングル家庭は”寂しく気の毒に思われるんじゃないか感”が当時はあったので(勝手にですけどね)、娘が親の離婚、再婚がオープンな環境で育った事も良かったと思っています。
まとめ
娘が幼稚園小学低学年の時期に、本人と私にとってアメリカという異文化の幼児教育に触れられたことは本当に良い経験となりました。
校則というのもなく(当時流行っていたヒーリーというローラー付きの靴は何曜日だけというのがあった程度)、、どんなに幼い子供だとしても、ひとりの人間として本人の行動や人間性を重んじるような学校でした。
こうやって振り返ると、子供の成長はあっという間です。何でも吸収するピュアな時期にたくさんのことを経験した娘。羨ましいです。皆さんのお子さんにもたくさんの経験をさせてあげてください。